仏教トリビア〜暮らしの中の仏教語〜
第二十七回【西国三十三ヶ所の札所の順番について】
西国三十三ヶ所の札所の順番と言えば、一番の那智山青岸渡寺から始まって三十三番華厳寺で結願するという現在の形で知られていますが、実は鎌倉時代までの札所の順番は今とは大きく違っていました。
『寺門高僧記』の中の行尊上人による『観音霊場三十三所巡礼記』によると、鎌倉時代までの巡礼路は一番が長谷寺、二番が岡寺と続き、三十三番の京都山城の三室戸寺で結願というものでした。
故・五来重氏によると、「西国霊場が出来た当初は、主に京都や奈良の僧侶達がプロの巡礼者として巡礼をしておりましたから、遠い所を先にまわって、近い所は後に残しておいたのでしょう。ところが、鎌倉時代の末に一般の人々がお参りするようになりますと、関東の人が非常に多かったものですから、伊勢にお参りしてから東熊野街道を通って、一番として那智にお参りするという形ができました。熊野詣と三十三ヶ所霊場詣は、ついでに参ったように考えがちですが、全く別の系列です。そういうことで、一番が那智になると、二番が紀三井寺、三番が粉河寺、四番が槙尾寺という現在のかたちができたようです。」(五来重著『西国巡礼の寺』)
このような理由から、西国三十三ヶ所の札所は初期の頃と現在とでは順番が違っていたようです。